鎌倉時代の梵鐘
室町時代の土塀
鎌倉時代後期
嘉元三年造
県下で二番目に
古い梵鐘
県指定文化財
◉この梵鐘(ぼんしょう)は、鎌倉時代の後期、嘉元3年(1305年)4月10日の銘があり、静岡県下で確認されている中で、二番目に古いものとされています。静岡県指定文化財。
高さ89.9センチ、直径49.5センチの小さな梵鐘の三面には、寛文八年(1668年)の追刻や、室町時代後期に火災に遭遇したと思われる焼痕があるなど、史料としても貴重なものとなっています。
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ちなみに、静岡県下に残存する一番古い梵鐘は、昭和58年に袋井市岡崎の茶畑から偶然発見された平治二年(1160年)に鋳造されたことが記された「平治二年銘梵鐘」で日本国内でも十二番目に古い梵鐘です。もともとは三河の普門寺(旧 紇里岡寺)にあったもので、高さは92.4センチ、口径53.0センチ。
見つかった状態、焼け跡などから、戦国時代に駿河の今川氏が三河地方まで攻め寄り駿河に持ち帰る途中、何らかの理由で畑のあった場所に埋めた物ではないかと推測されています。
室町時代の土壁
長楽寺表門は
江戸時代の造り
剥がれた漆喰が
侘び寂の風情
◉ 長楽寺山門(江戸時代)/客殿表門として「近藤家の三代が建立」と金地院住職が言った伝えがあります。棟札調査では現在の山門は江戸時代の天保8年(1837年)から天保11年再建と長楽寺誌にあります。建築様式は薬医門造り。薬医門のいわれは、正門が閉じていても脇の木戸から患者がいつでも出入りできる様にした医者の門だからとも、矢の攻撃を食い止める「矢食い」からきたとも言われています。四柱の造りで両側にくぐり戸、屋根には獅子、蟇股(かえるまた)に一枚板に彫上げたボタンを配置、左右で阿吽になっています。扉の丁番を飾る入り八双の金物。柱には魚の尾のように開いている「鯖の尾」。現在は長楽寺の表門として「長楽寺」と「光岩山」が彫られた、隠元禅師の高弟で黄檗宗を開いた獨堪禅師書の扁額(写真下)が掲げられています。
◉ 客殿の周りを囲う土塀(室町時代)/室町時代の造りと檀家さんに言い伝えられています。歴史の中で寺社は幾度の戦いに巻き込まれました。その防備のために土塀に囲まれている寺も多く見られます。檀家さんのお話しでは漆喰が残っていた頃には刀傷も残っていた様です。長楽寺の土塀は年月を重ね、漆喰が剥がれ日干し煉瓦がむき出しになっています。その風情も悠久の時と枯槁の美しさを感じさせてくれています。